元厚生次官宅・連続襲撃事件と動燃総務部次長の怪死
2008年11月24日
宇佐美 保
元厚生次官宅・連続襲撃事件に関しては、毎日新聞(2008年11月18日)には、次のように書かれております。
旧厚生省の2人の元官僚トップ宅で18日、相次いで惨劇が起きた。さいたま市で元事務次官、山口剛彦さん(66)夫妻の命が奪われ、その発見から約8時間後、約14キロ離れた東京都中野区の元次官、吉原健二さん(76)宅で、妻靖子さん(72)が刺され重傷を負った。2人の元エリートは現役時代、ともに年金制度を担っていた。「これは年金テロなのか」。卑劣な凶行に厚生労働省は、重苦しい雰囲気に包まれた。 ・・・ |
更には、朝日新聞(2008年11月22日)の記事は次のように伝えています。
東京・桜田門の警視庁に22日午後9時20分、車で男が乗り付け、入り口にいた警察官に「次官を殺してきた」と話した。男は刃物数本をもっていた。男の身柄を麹町署に移し、元厚生事務次官宅連続襲撃事件との関連について、慎重に調べている。車は川越ナンバーのレンタカーだった。 男が犯人にしか知り得ない事実を知っているかなどについて調べる。警視庁は刑事部の幹部などが同署に集まっている。 |
この事件で、犠牲になられた方々は誠にお気の毒で、痛ましく存じますが、私は直ぐに、『週刊金曜日(2008.10.24号)』に掲載された高田欽一氏(ジャーナリスト)による「動燃総務部次長の怪死を取りまく謎(「夫は自殺じゃない」と動燃相手に遺族が訴訟)」との記事が頭の中に飛び込んできました。
高田欽一氏は、次のように記述しています。
1995年に高速増殖炉もんじゅが冷却用ナトリウム漏れという大事故を起こした。この騒動の最中、運営側の動燃の説明員が「自殺」。いきすぎた報道が死をもたらしたと非難され、以後、事故の報道は下火になっていった。このできすぎた死は、本当に自殺だったのか── |
この10数年前の悲惨な事件に対する私の記憶はすっかり薄れていましたが、高田氏は驚くべきことを報告されています。
なにしろ、動燃総務部次長(故・西村成生氏)の「自殺」と決め付けた警察の根拠を次々と覆されているのですから。
先ずは、「自殺」の状況を次のように書かれています。
西村とし子は当初は考える気力もなく、唯々呆然と悲しみに暮れるだけだったという。 彼女の夫だった故・西村成生(にしむらしげお)は、動力炉・核燃料開発事業団(以下、動燃。現・独立行政法人日本原子力研究開発機構)に総務部次長として勤務していた1996年1月13日未明、宿泊するホテル八階の非常階段踊り場から飛び降り自殺し、頭から血を流し、うつ伏せになって倒れているのが見つかった〃(新聞・TV報道)とされる。当時、高速増殖炉「もんじゅ」がナトリウム漏れ事故を起こし、動燃は事故隠しをしたとして、世間やマスコミから厳しく非難されていた。それがこの自殺″をきっかけに、動燃への非難が急速に終息したという経緯があった。 |
しかし、「年金問題」が、以前ほど「世間やマスコミから厳しく非難されて」いる状態と感じては居ませんか?
ここで、日刊スポーツ(2008年11月19日)の記事を引用させて頂きます。
元厚生次官ら連続殺傷事件で、舛添要一厚生労働相は19日午前「仮に歴代の幹部を政治的目的で狙ったテロだとすれば、許しがたいことだ。こういう卑劣な行為は許せないし、徹底的に真相究明し、犯人逮捕を警察にお願いしたい」と強調した。都内の自宅前で記者団に語った。 舛添氏は厚労省について「毎日のように苦情は多いが、特別テロ行為を行うという電話があったとは聞いていない」と述べた。(共同) |
私、私達は忘れ易いとは言え、 「年金問題」に対して「毎日のように苦情は多い」状態で、 選挙となればこの問題が再度クローズアップされてくるでしょう。 |
又、『週刊金曜日』に戻りますと、御遺族の西村とし子氏が暴かれた「自殺説」の綻びを紹介されて行きます。
「何かがおかしい」 西村とし子が、そう思うようになったのは、成生の四九日が済み、ようやく落ち着いて夫の死に向き合えるようになってからだった。 おかしい″という感じは、夫の遺体に対面した時からあった。ホテルの八階から飛び降り自殺した、という発表だったから、遺体が酷い損傷を受けていることを覚悟していたのだが、ストレッチャー上の成生の躰には、擦過傷や打撲痕が目立つ程度で、たいした損傷はなかった。 「新聞にはホテルから飛び降り自殺して頭の骨を折っており……″と報道されたはずなのに……」 念のために遺体のレントゲン写真を取り寄せてみると、やはり頭蓋骨には骨折の形跡はなかった。 |
この「頭蓋骨の骨折」の有無の相違だけでも、「自殺説」を疑うには十分な根拠となりますが、更に、死亡時刻の整合性の疑問も提示されておられます。
また、聖路加病院の医師が作成したカルテには、深部体温が記載されていた。そこから逆算すると死亡推定時刻は1月12日22時頃(記者会見終了直後)から1月13日1時頃の間だった。ところが成生がホテルにチェックインした時刻は、『朝日新聞』は午前0時45分、『毎日』は午前1時と報道。動燃から送られたファクスを取りにホテルのフロントに現れた時刻が、『朝日』と『産経』が2時半、『読売』1時半となつていた。しかし一審の裁判においてもホテルで受信したファクスは出てきていない。 「本当に夫はホテルで飛び降り自殺したのだろうか?」 そうした疑念が沸き起こつてくるのを抑えることができなくなった。 |
となりますと「聖路加病院」による「死亡推定時刻」の「22時頃〜1時頃の間」の直前の「午前0時45分」(朝日新聞)、或いは、「午前1時」(毎日新聞)に西村氏はチェックインしているのですから、「西村成生氏は、予めホテルを自殺の場と決めチェックインし、直ちに自殺した」となりご遺族としても納得できない筈です。
更に、その「死亡推定時刻」以降の「2時半」(朝日、産経)、或いは、「1時半」(読売)に「死んでいるはずの人間」が「ファクスを取りにホテルのフロントに現れた」と言うのですから、「ホテルにチェックインしたり、フロントにファックスを採りに来た人物」は、西村氏とは別人と考えるのが「穏当な見解」となるでしょう。
「しかし一審の裁判においてもホテルで受信したファクスは出てきていない」と言うのでは、「一審の裁判」はなんとしても、西村氏の死を「自殺」と決め付けたかったと考えるのもこれまた「穏当な見解」ではないでしょうか!?
しかし、これら私の「穏当な見解」とした根拠は「聖路加病院による死亡推定時刻」ですが、この時刻が誤りなら、別な見解となります。
即ち、「検死した監察医による死亡推定時刻」が「ファクスを取りにホテルのフロントに現れた」「2時半」、或いは、「1時半」以降であると言うのなら!
ところが次のような更に驚くべき事実を調べておられます。
西村とし子は、自殺とされた夫の死を自分で調べ直そうと決意した。 当初は五里霧中だったが、資料を集めて医学書を勉強し、専門的な用語も覚えた。 法医学者の先生方に資料を見てもらうと多くのことがわかってきた。 検死した監察医にも面会し、死亡推定時刻について尋ねると、深部体温を計らず発見時刻から死亡時刻を推定していたことが分かった。 さらにこの監察医は興味深いことを言っている。死体検案書の自殺欄にマルを打ち、転落したらしい″と記載してあるのを「なぜらしい″なんですか?」と、とし子が尋ねると、「それは……。警察からの伝聞です。でも私は納得して9番の自殺にマルをした。そうでなければ、10番の他殺にマルをしています」。 |
この「監察医」の「発見時刻から死亡時刻を推定していた」のでは、先ほどの「聖路加病院による死亡推定時刻」を覆すことは不可能です。
更に、「死体検案書の自殺欄にマルを打ち、転落したらしい″」の「らしい」を「それは……。警察からの伝聞」でもって、“私は納得して9番の自殺にマルをした” との談話を余りにも不自然です。
更に、次に記された当時の「中央署の担当者」の態度も不自然です。
西村とし子が、中央署の担当者に説明を求めると、応対した刑事課長は名刺を出すことも、名前を告げることさえ拒否したという。頭の骨を折っており″との報道が、警察関係者から取材したものなら、事実でない情報を警察はマスコミに流していたことになる。 |
更に、「西村成生が書いたとされる遺書」は「夫の筆跡ではありませんでした」と次のように書かれています。
西村成生が書いたとされる遺書には、マスコミに対する批判が書いてあった。だが、この遺書についても西村とし子は「遺書に日付と時間が書いてあったのですが、夫の筆跡ではありませんでした」という。 |
この遺書(文中にその一部の写真が掲載されています)に使われていた用紙は、「ホテルの便箋」ではなく紙面の下部に「どうねん」の文字が印刷された「動燃の用紙」のようです。
「動燃を慮った自殺」とはいえ「自殺」は私的行為です。
従って、ホテルで書かれた遺書なら「動燃の用紙」ではなく「ホテルの便箋」が使用されている筈です。
ですから、万が一にもこの「西村成生が書いたとされる遺書」をご本人が書かれたとしたら、「死亡推定時刻は1月12日22時頃(記者会見終了直後)から」ホテルにチェックインする前(「午前0時45分」(朝日新聞)、或いは、「午前1時」(毎日新聞))の、2〜3時間の間に、(熟慮し、自殺を決意した後)ホテル以外の別の場所で、(1ページ目の写真を拡大してみた私の感じですが)文字を1文字訂正しただけの遺書を認め、自殺を決行する為のホテルに赴いた事となります。
しかし、
写真の遺書(大石博理事長殿宛)の右上には、 この遺書を書かれたと思われる日時が「H8.1.13 03:10(土)」 と書かれているのが読み取れます。 |
(この時刻は「ファクスを取りにホテルのフロントに現れた」「2時半」以降となります)
しかし、「聖路加病院」による「死亡推定時刻」の「22時頃〜1時頃の間」なのです。
この遺書から、私は作為性を感じざるをえません。
「刑事コロンボ」を真似ての次の推論(私の「穏当な見解」)が成立します。
ある悪人は、西村氏を1月12日22時頃(記者会見終了直後)以降の時刻に、ホテル以外の別の場所で殺害します。 そして、西村氏と偽る人物がホテルにチェックインし、 (この人物は、多分別の部屋に予めチェックインしており、 その後の未明までの間に、 |
(頭蓋骨に骨折が無い事、「聖路加病院」による「死亡推定時刻」がばれなければ、この謎の人物達の完全犯罪が成立していたのでしょう)
御遺族の西村とし子氏は、私以上に「自殺」への疑念を抱かれたでしょう。
(私以上に「穏当な見解」を抱いたでしょう)
そして、西村とし子氏は次のように裁判に訴えられたのです。
その結果、驚くべき事実(動燃側のこれまでの主張の綻び)が浮かび上がってくるのです。
とし子は、成生の死亡の責任を安全配慮義務違反として動燃に認めさせるために裁判に訴えることにした。 裁判を通じて動燃の嘘を暴き、彼女の夫がなぜ死ななくてはならなかったのかを解明しようと思ったのだ。 それが自分にできる夫へのせめてもの供養だと考えたからだ。 東京地裁での一審判決では、訴えは認められなかったが、控訴審では動燃側のこれまでの主張に綻びが出てきた。 |
この「控訴審では動燃側のこれまでの主張に綻び」は次のように書かれています。
西村成生が自殺″した理由とされる1月12日の記者会見での失言(動燃本社がビデオの存在を把握した時期を、12月25日と言うべきところを、1月10日と成生が説明)を、動燃はこれまで成生の勘違いによるもの、と主張してきた。 ところが、成生の会見の前に大石博理事長が、1月11日にビデオの存在を初めて知ったと発言している。 また成生の残した会見用想定問答集には、12月25日が1月10日に訂正されていた。成生の発言は動燃の諸規定に基づいていたと想像される。 動燃は、これまで成生が勘違いから失言し、さして重要でない問題を苦にして発作的に自殺したと主張してきたが、動燃の主張には明らかに矛盾があった。東京高裁も新たな証人を呼ぶなど、一審判決を見直す姿勢を見せている。 |
ここに「成生の残した会見用想定問答集には、12月25日が1月10日に訂正されていた。成生の発言は動燃の諸規定に基づいていたと想像される」と書かれていることから、西村成生氏の「自殺の根拠」が消失してしまうのです。
ところが、御遺族の西村とし子氏が「夫の筆跡ではありませんでした」という「遺書」には、(紙面に掲載された写真から)次のような文言が読み取れるのです。
前略 日夜ご心労の極みと拝察致します。 今回の事故後の対応のまずさは、私自身も極めて残念だと思っております。 特に、ビデオの編集の件が事故から事件に変えた最大の要因であり、動燃の体質論までに捉(「抱」のようにも私には読めました)えられてしまったことは、プロパー職員の一人としても残念でたまりません。 ・・・ いずれにしろ、理事長が、正直であることが第一であり、決して隠すことがない様に言われていましたが私も同感であります。 しかし、今回のプレス発表という大事な局面で私の勘違いから理事長や役職員に多大の迷惑、むしろ「本当のウソ」(但し、この「当」の字はよく読めないので別の字かもしれません)といった体質論に発展させかねない事態を引き起こす恐れを生じさせてしまった事は理事長はじめ・・・ (読み取れた残りの部分は文末の(追記)に掲載させて頂きます) |
「会見用想定問答集」通りにプレス発表した西村成生氏が、 その発表から2〜3時間後に 「今回のプレス発表という大事な局面で私の勘違いから理事長や役職員に多大の迷惑・・・」 との(誰が書いたかも分からない)遺書を残して自殺するのは変です。 |
その上、
「理事長が、正直であることが第一であり、 決して隠すことがない様に言われていましたが私も同感であります」 と遺書に記すのも余りにも作為的です。 |
動燃の大石理事長が「正直であることが第一であり、決して隠すことがない様」と日頃言っておられたなら、「(動燃本社がビデオの存在を把握した時期を、12月25日と言うべきところを、1月10日と成生が説明)を、動燃はこれまで成生の勘違いによるもの、と主張してきた。」に対して、「成生の会見の前に大石博理事長が、1月11日にビデオの存在を初めて知ったと発言している」のですから、理事長は「成生の勘違い」を払拭してあげるべきだった筈です。
動燃総務部次長西村成生氏の死は「自殺」ではなく「怪死」であって、 その実態は暴かれなくてはならない筈です。 |
更に、紙面には次のような記述もありました。
「西村は死亡しました」 安藤隆理事から電話で告げられ、思わず受話器を取り落とした時の驚きは、今も忘れられないという。 夫の遺体の帰宅後は、動燃から派遣された職員が通夜や葬儀を取り仕切り、近所の人も遺族に会うことを拒否された。親族さえも、なかなか家に入れて貰えなかったという。 「今にして思えば、マスコミの記者が、私たち遺族に接触できないようにしていたとしか思えません」 成生の葬儀は、まるで動燃にとって重要なセレモニーであるかのように盛大に行なわれたという。当初予定していた会場が、来賓用駐車場スペースが足りないという理由で変更され、弔辞も通常は一人のところを、動燃側が四人を指定してきた。梶山静六内閣官房長官、田中眞紀子衆議院議員らが出席した。 |
更には次のようにも書かれています。
動燃の事故当時、村山内閣から橋本内閣へ政権が交代している。成生も科学技術庁の中川秀直新長官の所信表明を気にし、新長官のNHKでの会見をビデオに録画するように、とし子に依頼していた。 なお、成生の通夜でもないのに弔問に訪れた中川長官は、成生の顔に掛けられていた白い布をめくり、死に顔を見るという奇妙な行動をしたという。 「当時は、取り立てて顔見知りでもないのに、なぜそんなことをしたのか、疑問だったのですが……」 葬儀後にも、動燃はお礼参りを企画し、長尾博昭総務部長がとし子ら遺族を長官室へ連れて行き、中川長官に面会させた。 「生前の西村さんは何か言い残していないですか」と中川から確認するように尋ねられたという。 「もんじゅの担当にされてしまったよ」 西村とし子は、成生から暗い声で告げられた日、嫌な胸騒ぎがしたことを、今も時々思い出すという。 |
やはり何かおかしいですよね。
そして、今回の「元厚生次官宅・連続襲撃事件」に対する麻生太郎首相の対応を毎日新聞(2008年11月20日)は次のように書いています。
麻生太郎首相は19日、「連続テロ」の可能性がある元厚生事務次官宅連続襲撃事件を強く非難するメッセージを出さなかった。閣僚や野党幹部が犯行を非難するなかで、二度の取材に応じた首相は「今の段階では単なる傷害か何とかって決まっていない」などと述べるにとどめた。野党などからは首相の「危機意識の欠如」を指摘する声も出ている。 ・・・ |
更に、毎日新聞(2008年11月20日)では次のようです。
麻生太郎首相は20日朝、元厚生事務次官宅連続襲撃事件を受けて前日は控えた早朝のウオーキングを再開した。警察当局は厚生労働省(旧厚生省)の歴代事務次官などの警備を強化するなど厳戒態勢を続けており、首相も「(警備の)負担がかかると思ってやめた」と19日はウオーキングを取りやめたが、1日で「復活」した。首相は就任前から、早朝に東京・神山町の自宅周辺を約30分ウオーキングすることが日課で、就任後も続けている。 |
「警察当局は厚生労働省(旧厚生省)の歴代事務次官などの警備を強化するなど厳戒態勢を続けており」と言う時期に、「前日は控えた早朝のウオーキングを再開した」と言う麻生太郎氏は、「テロも恐れない剛毅な方」なのか?「KYの方」(今回の場合は、「漢字が読めない方」ではなく「空気が読めない方」の意味です)なのか?
それとも「空気が読める方」なのか?と思わずには居られません。 (しかし、その空気とは?) |
(追記)
『週刊金曜日(2008.10.24号)』の紙面に掲載された写真から、私が読み取る事が出来た「西村成生氏の遺書」を掲げさせて頂きます。
H8.1.13(土) 03:10 大石 博理事長殿 総務部次長 西村成生 前略 日夜ご心労の極みと拝察致します。 今回の事故後の対応のまずさは、私自身も極めて残念だと思っております。 特に、ビデオの編集の件が事故から事件に変えた最大の要因であり、動燃の体質論までに捉(「抱」のようにも私には読めました)えられてしまったことは、プロパー職員の一人としても残念でたまりません。 私自身 事実関係調査の指示を受け、昨年末から現地、本社関係者から様々な(この部分では「の」を消して「な」と書き換えられています)思いや、考え方を聞いて参りましたが、決して事故隠しをしようと考えている者はいなかったと信じております。 人間の記憶は曖昧なものであり、これだけの異常なる関心を集めた、かつ技術的には自身を持っていたにも拘らず事故を起したことからの動揺と混乱は、説明しがたいものがあったのではないでしょうか。 人が人を裁く、あるいは、見極めていくことは大変難しいことです。白、黒とはつけられない状況もあるはずだと思います。 いずれにしろ、理事長が、正直であることが第一であり、決して隠すことがない様に言われていましたが私も同感であります。 しかし、今回のプレス発表という大事な局面で私の勘違いから理事長や役職員に多大の迷惑、むしろ「本当のウソ」(但し、この「当」の字はよく読めないので別の字かもしれません)といった体質論に発展させかねない事態を引き起こす恐れを生じさせてしまった事は理事長はじめ・・・(以下は2頁目で、1頁目の陰で読み取る事が出来ませんでした) |